主要取引先の手形不渡りで、数千万円の売掛金回収が不能。法人破産を余儀なくされたが、社長業で培った経験を活し他業界へ再就職スタートを切った事例

大正3年に親族が創業した伝統ある繊維業を営む会社を継ぎ、経営者も豪邸を構えることができるほど潤っていたが、時代の変化とともに繊維業界全体が中国にシフトし、深刻な打撃を受ける。

しかし、経営対応が遅れてしまい、経営の悪化を余儀なくされる。会社の存続を保持するため、リストラの敢行、給与カット、金融機関からの運転資金の借入を行うが、伸びない売り上げと年々増えていく借入金に頭を抱える毎日が続く。

最終的には、打開策が見出せず、主要得意先が手形不渡り。数千万円の売掛金回収が不能になり、弁護士に相談をし破産申立を決意。

弁護士は60日後には破産申立が済んでいるスケジュールを組み、進行。
従業員に最後の給料や退職金が支払い不能なため、未払賃金立替制度を活用し、未払賃金への問題も解消。

社長業で培った経験を活かし、他業界へ再就職に成功し、着実な生活を再スタートさせる。

※当事例及び登場人物に関しまして
当ページでは、当事務所弁護士の経験に基づくストーリーでご紹介しておりますが、
守秘義務の関係から、あくまでフィクションとさせていただいており、また登場人物も架空人物として設定しております。

会社名:㈱ヤナイ服地
代表者:柳井守
ご年齢:58歳
業種:繊維業(服地卸)
年商:6億円
資本金:1000万円
従業員数:20人
負債総額: 6億円

繊維業界全体が中国にシフト。時代の変化に経営対応が遅れ、経営悪化。

㈱ヤナイ服地の前身は、現代表者の祖父である柳井伸助が、大正3年に大阪船場にて創業した柳井商店である。

戦禍をくぐり抜けて、柳井商店は昭和24年に法人化し、㈱柳井商店となった。主な取扱商品は、紳士服地であった。

昭和40年に現代表者の父柳井賢(まさる)が2代目社長となる。
当時はまだ繊維業界は活況を呈しており、賢も兵庫県内に豪邸を構えることができた。

現代表者の守が会社を継いだのは、平成元年。当時33歳であった。

ちょうどバブル経済真っ盛りの時期であった。
守は関東の大学を出身した後、関東の紳士服卸の会社に就職していたが、会社を継ぐと同時に退職し、帰阪した。

昭和末期の頃から、繊維業は中国等にシフトしており、日本の繊維業界は深刻な打撃を受けていた。

それでもなお、高級紳士服地の需要はあったため、㈱ヤナイ服地はイタリア製生地を新たに取り扱うなどして、どうにか生きながらえていた。
しかし、明らかに需要は右肩下がりの様相を呈しており、それに対して守は機敏に対応することもできず、従来通りの経営を続けていた。

守は、通り一遍のリストラ策を講じてみたりもした。

最盛期は50人以上いた従業員を徐々に減らすようにもなった。

給与カットも行った。

それでも、本業の売り上げそのものが向上しないので、資金繰りは常に厳しい状態であり、都度金融機関から運転資金を借り入れるようになった。

同業者の倒産の報も目立つようになった。

特にめぼしい投資はしていなかったが、運転資金の借り入れを繰り返したことによって、㈱ヤナイ服地の借入金の額は年々膨れていった。

伸びない売り上げと年々増えていく借入金に頭を抱える毎日が続いてたが、経営できないほどに追い込まれていたわけではなかった。

打開策が見出せず、主要得意先が手形不渡り。数千万円の売掛金回収が不能に。

繊維業界全体が落ち込む中、㈱ヤナイ服地は新たな需要を見いだしたり、業態転換を図ることなく、従来通りの経営を続けた。
守にも焦りはあったが、なにぶん良い発想が出てこない。結果的には漫然と経営を続けることとなった。

同業者の中には繊維業から足を洗い、隆盛時に取得した不動産を有効活用して、不動産賃貸業に転じる者も現れた。
しかし、㈱ヤナイ服地には本社ビルを所有しているものの、べったりと銀行の抵当権が打たれてあり、その途もない。

守は、先代、先々代が何か遺してくれたらよかったのにと恨めしく思い、かつ、現状を打破できない自らの才覚のなさを嘆く毎日であった。

俺が悪いのか、いや、そうではないだろう。時代が悪すぎるのだ。

守はそう自分を言い聞かせて、精神の安定をどうにか保っていたが、客観的な状況はますます悪くなる一方であった。

いくつか取引先の倒産にも直面して、その度どうにか命脈を保ってはきたが、今回ばかりはそうはいかなそうだ。

最大の得意先だった天埜産業が不渡りを出したからだ。
手形は4カ月サイトだったので、㈱ヤナイ服地は数千万円もの売掛金が回収できなくなってしまったのだ。

あらゆる打てる手は尽くしたが、資金繰りが限界に達し、弁護士に相談。

㈱ヤナイ服地は大阪船場でも伝統のある会社だった。勤続30年、40年の古参の従業員も沢山いる。

彼らの生活を考えると、守としても易々と破産するというわけにはいかなかった。
リストラはしたが、今も20名ほどの従業員の生活がかかっている。

守は耐えられる範囲で耐えた。

自分の資産だけでなく、妻の資産も会社に投入したりした。
しかし、もう限界だ。数千万円も穴があいてしまうとどうにも手当ができない。

従業員も会社の業況が悪いことは知っているが、まさか破産するとは思っていまい。

再就職も厳しい世の中だ。

破産することをよしとする従業員なんていない。しかし、このままだと資金ショートは免れない。

守は生命保険に加入している。一時自殺することも頭をよぎった。

しかし、そんなことをしても誰も喜ぶことはない。

今年一人息子は結婚したばかりだ。

孫の顔も見たい。

守は悩みに悩んだ挙げ句、弁護士に相談することにした。

弁護士に数々の的確な指導、解決策の提示を受ける。そして破産申し立てを決意。

守は生まれて初めて、法律事務所を訪れた。

弁護士と話をするのも初めてである。

話した弁護士は、強面だが頼りがいのある感じだった。

なんでも、経験上、混乱は1、2週間で収まるとのこと。
守は債権者が自宅に押しかけてきたりすることを恐れたが、ほとんどのケースではそのようなことにはならない、という話だった。

守は、何もかも失ってしまうのが破産だと思っていた。
しかし、必ずしもそうではないことが弁護士の説明を受けてはじめて分かった。

99万円までの財産を確保したまま破産できることや、破産手続開始決定の後にできた資産はすべて自分のものになることなど全く知らなかった。

また従業員に対する説明をどうすればよいか思案していたが、すべて代わって説明してくれるとのことだった。

今の状態で会社をたたんでしまうと、従業員に最後の給料や退職金が支払えない、という話をすると、未払賃金立替制度というものが使えるという話も聞いた。

しかし、申立費用をどうすればよいか。

恥ずかしいことだが、いま会社には先立つものがない。

ただし、20日後500万円ほどの売掛金を回収することができるはずである。
従業員の給料や買掛金の支払には到底足らないけど、申立費用はどうにか捻出できそうだ。

この話をすると、弁護士は20日後まで待ちましょう、と言ってくれた。支払日は1カ月後なので、タイミングとしては全く問題ないとのことだった。

どうにか目処が立ったようなので、守は破産申立を決意した。

「どんなことでもいいから話をしてほしい」それが弁護士のスタンスであると知る。

守は、なんでも弁護士に相談した。弁護士はどんな話でも真摯に耳を傾けてくれた。

ときには愚痴を言うこともあっただろう。

守はただ話をするだけでも落ち着く自分に気がつくようになった。

今までは全部一人で抱え込んできた。誰かに話すということが、これほど楽になるとは思いもよらなかった。

弁護士は決して守の意見を否定したりはしなかった。
そんな雰囲気があったから守もなんでも正直に話すようになっていたのだ。

どんなことでもいいから話をしてほしい、それがこの弁護士のスタンスであることが、守にもようやく分かってきた。

守があえて言いたくないこと、の中にも重要なことが潜んでいるのだろう。

頭ごなしに怒られたりしていたなら、言いたくないこと、は言わずにおいたかもしれない。

守は弁護士に相談してはじめて自分の状況を客観的に把握できるようになった。
客観的に把握することによって、冷静な判断もできるようになった。

また、今までは一人ですべてを抱えてきたが、弁護士に相談することによって、その重荷を分散できるようになった。
誰かと相談できるということが、これほど心の解放をもたらすことになるとは想像もできなかった。

守は何もかも洗いざらい話をしたことで、かえって清々しい気分になった。

今まで一人ですべてを抱えていたが、受任した弁護士が代わって問題を解決していく。

破産申立を受任した弁護士は、まず申立までの工程表を作成して、守に渡した。

いつ、誰が、何をすべきかが、一覧できるようになっている。

20日後に売掛金を回収してからは、矢継ぎ早に予定が組み込まれてある。

今から60日後には破産申立が済んでいるスケジュールである。

守は、先行きが見えるだけでも安堵を覚えた。
なにしろ、弁護士に相談する前は自殺することも考えていたくらいである。

弁護士にその話を正直にすると、「破産させてしまったことの責任は確かにあるが、それはきちんと法的手続をとることによって果たすべきである。
社長は少なくとも破産申立を決断しているのだから、その責任を果たそうとしているのだ。
命を失って喜ぶ人は一人もいないし、絶対にそんな勿体ないことはしてはいけない。」と強く言われた。

守は、いろいろな人に本当に申し訳ない気持ちで、やるせない気持ちで一杯だったが、弁護士の言葉に少し勇気づけられ、前向きな気持ちを取り戻しつつあった。

また、混乱防止の観点から、守は弁護士と相談の上、直前になるまで誰にも破産申立予定であることを言わないことにした。

債権者集会で言われた言葉「今まで取引して頂いて、ありがとうございました」

守は、滞りなく破産申立を済ませることができた。

債権者集会のため3度ほど裁判所に足を運んだ。

1回目は債権者も何人か来ていて、簡単ではあるが心の底から真摯にお詫びをした。

もはや守を責めるような債権者はいなかった。

かえって、今まで取引していただいてありがとうと御礼を言われたり、いろいろと大変でしょうが、今後の再起を期待していますと勇気づけられる言葉もいただいた。

社交辞令とは思っていながらも、守は救われた気がした。
やはり破産申立をしたことは間違っていなかったのだと思った。

ちょうどこのころ、破産管財人による未払賃金の立替払いも完了したという報告を受けていた。
守としては、懸案だったこともあり、ほっと胸をなで下ろした。

また弁護士が以前に説明したとおりで、破産に伴う混乱は殆どなかった。
こんなにスムーズにいくものかとも思った。

資金繰りに追われることのない平穏な毎日が訪れるようになった。
夜もゆっくり眠れるようになった。

社長業で培った経理の経験を活かし、建設業へ再就職。着実な生活を再スタート。

守は、経営者であったが、会社の規模もそれほど大きくなかったので経理にも明るかった。

世間的には、経営経験があり、かつ経理にも詳しいというスキルは、なかなか珍しいようである。

守としても再就職は厳しかろうと思っていたが、意外とはやく再就職先を見つけることができた。

再就職先は、建設業とこれまでとは全く畑違いであるが、社長の右腕として行政に対する許認可取得等の手続に奔走している毎日である。

再就職ができた今でも、日々の生活は決して楽ではない。
しかし、何かに押し潰されそうになる何ともいえない苦しさからは逃れることができた。

決して派手ではないが、着実な生活を歩み始めた守であった。

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