弁護士紹介

弁護士 田中 健治

弁護士 田中 健治

出身大学 京都大学法学部
弁護士会 平成13年10月 弁護士登録
(大阪弁護士会)
所属事務所 遠田・田中法律事務所
(昭和55年設立)
主な取扱分野 民法、会社法、労働法、倒産法
取り扱い
案件経歴
平成28年度
大阪市滞納給食費回収事業

弁護士経歴

弁護士になった当初はアソシエイト弁護士として、中本・倉橋法律事務所にて勤務し、6年半お世話になりました。
そこでは、大型・小型を問わず破産事件や民事再生事件に携わらせていただき、また、上場企業の顧問弁護士として企業法務にまつわる各種法律相談にも携わってまいりました。

アソシエイト弁護士としての6年半の経験をもとに、平成20年4月、司法修習同期の下元高文弁護士と田中・下元法律事務所を設立し、丸9年間共に働き、喜びを分かち、辛酸も舐め、様々な経験・ノウハウを蓄積してまいりました。

勤務弁護士とは異なり、経営する立場にもなり、自ら看板を掲げて日々の弁護士業務に取り組んできた結果、多くのクライアントのご依頼をいただき、ご愛顧を賜ってまいりました。

しかしながら、今般、同じ弁護士でもある親父をバックアップするため、下元弁護士をはじめ、様々な関係者に無理を言って、親父の事務所に合流することといたしました。

遠田・田中法律事務所は、設立37年目となる老舗法律事務所です。脈々と続いてきた法律事務所としての活動を承継し、さらに盛り上げていきたいと願っております。

弁護士の想い

弁護士 田中 健治
弁護士 田中 健治

何事も最後まで諦めない、これが私の座右の銘です。

諦めることは簡単ですし、何より楽です。

そういう私自身も、困難にぶつかるたび、諦めそうになります。
しかし、諦めそうになる、という状態と、諦める、という状態は全く別物です。血の通った人間ですから、諦めそうになってしまい気が弱ってしまう、のは無理もないことです。

日常生活を送るにあたっても、企業経営をするにあたっても、順風満帆なときばかりではありません。
むしろ、荒波でいばらの道であることの方が多いかもしれません。私自身も、常に荒波をかきわけ、いばらの道を踏みしめて歩いている気がしております。

でも、諦めない。諦めない人が最後の最後で成功を獲得するのです。

諦めかけたときこそ、ご相談ください。
何か、良い解決案があるかもしれませんし、精神的なサポートもできるかもしれません。

諦めそうになっている、ダメかもしれないと思っている貴方、そういう貴方を私は精一杯応援したいと思います。

弁護士になるまでの経緯

最初に我が父の話をします。

既に申し上げたとおり、私の父は今でも現役の弁護士です。
来年80歳になりますが、とても元気です。同じ事務所で毎日一緒に働いています。同じ案件を分担して処理することもあります。

最近になってようやく一人前の弁護士として見てくれるようになったのかもしれません。

そういう私はずっと父の背中を見て育ちました。

土日も関係なく書斎にこもり、平日は当然のように遅い毎日。
幼少の頃は、早朝しか顔を会わす機会はなかったかもしれません。

ですが、私はとても父のことが好きでしたし、寂しいと思ったことは全くありませんでした。
人のため、世のために働く父のことを単純にかっこいいと思っていました。

そして、何より全国各地に出張できるのが、鉄道少年だった私は羨ましく思っていました。

しかし、私は同時に医師にもなりたいと思っていました。
中学生のころに読んだ漫画(ブラックジャック、スーパードクターK)のせいもありますが、医術は世界でも通用する、というのが大きな理由でした。

時は経ち、高校生1年か2年の頃です。
担任の教諭から、将来の進路希望を聞かれました。僕はその頃、医学部に行きたいと本気で思っていました。
ですが、担任は医学部は現役では無理かもしれないが、法学部なら現役で合格するだろう、と変な太鼓判を押したのです。

できる限り早く自由を求めて京都大学に進学したかった私は、迷わず文系志望に切り替えました。

それと同時に将来は弁護士になることを決めました。

父が弁護士だったので当然自分もなれるもんだと思い込んでいました。

そんなに甘いものではない、というのは後々痛切に思い知ることになりました。

紆余曲折の末、私が司法試験に合格した平成11年頃はまだ、司法研修所の民事弁護教官は「弁護士は金持ちにはなれないが食うには困らない。」というような話をされていました。
私の父も常々同様のことを言っていたので、そうなんだろうなあ、と呑気に構えていました。

ところが、司法改革の流れの中で、司法試験合格者数を増大させる(目標3000人)ということとなり、試験制度も様変わりし、原則としてロースクールを経ないといけないということになりました。

私が合格した平成11年にはじめて1000人に達した合格者は、その後1500人となり、2000人も超えることとなりました。
昭和時代に毎年500人しか合格しなかったのと比べると雲泥の差です。

司法試験に合格したからには、法曹三者といわれる裁判官か検察官、もしくは弁護士になるのが通常です。
これは昔からそうなのですが、約8割は弁護士になります。
となれば、合格者が増大すると、当然弁護士人口が増えることになります。

弁護士業務にかける覚悟

弁護士 田中 健治
弁護士 田中 健治

私はある意味過渡期に合格を果たし、そこそこではありますが、いい思いもしてきました。
ですが、今は弁護士業界も完全に競争社会に変化しました。

弁護士がウェブサイトを設けて、クライアントを誘引するのが当然の時代になりました。
当然のことながら、私も独立に際してウェブサイトを設けて、クライアントを獲得するよう努力しました。

しかしながら、私はそれでもまだ手ぬるいという思いから、他の弁護士は手がけていない事業にも着手したりもしました。

マスコミでも一時話題になった大阪市の滞納学校給食費の回収等です。
債権回収は弁護士業務の中でも基本中の基本でありながら、額面が小さいと弁護士にとしても手を出しにくい案件となりますし、クライアントにとって費用対効果が合わないという問題もあります。

それゆえ、完全成功報酬制という方式がとられることが通常です。

回収業務を通じて貴重な経験をさせていただきましたし、ノウハウも積み上げることができましたが、諸般の事情により、私は、その事業に一区切りをつけ、弁護士15年目になって父の事務所に入所し、旧来の弁護士業務に立ち返ることとしました。

かつては、私たちの資格はプラチナ扱いされ、司法試験に合格しさえすれば将来が保証される、とまで言われていました。

ところが、今は全く違います。

工夫を凝らさなければ、競争に負けてしまうのです。
新規事業の開拓も必須です。

まず、第一にサービス業の最たるものであるという意識をもって職務に当たる必要があると常々考えております。

経済原理からすると、弁護士の数が増えると、自ずから過当競争に陥ってしまうことになりますが、私以外の他の弁護士もこの点に関しては強く意識していることでしょう。

ただし、弁護士は結果を求められる職種でもあります。
どれだけサービスがよくてもクライアントにとっての結果が悪ければ、存在価値が否定されかねません。

私自身は、クライアントの要望を丹念に聞き取り、多少無理筋であっても、一筋の光明を見いだすことに、常に注力しております。

当人の手に余るから弁護士に相談しているのであって、その弁護士が簡単に匙を投げてしまっては、救済の手段がなくなってしまうことになります。

格好をつけるわけではないですが、1%でも成功の可能性が残されているのであれば、なんとか形に仕上げたい、それが私の切なる思いです。

無理なことは無理だと、当然断る場面もでてきますが、それは却って損を被るかもしれないからであって、常にクライアントの視線に立脚しながら、利害得失を考えているのです。

以上のように、案件処理にあたっては、これまで15年の弁護士経験で培ってきた経験・ノウハウと、私の全人格をかけて臨む所存であります。

最後にクライアントと握手できる関係になること、それが私の望みです。

微力ではありますが、クライアントの皆様の力になれることを切に望んでおります。

その他

趣味:マラソン・トライアスロン
弁護士 田中健治 トライアスロン

今は業務に専念するため休憩中ですが、2011年から2014年にかけて、私はマラソンとトライアスロンに取り組んでおりました。

フルマラソンは20回程度完走歴があり、東京・大阪・神戸・京都の各マラソン大会にも出場し、毎年2月に開催されている別府大分毎日マラソン(第62回大会における2時間57分41分というのが公式最高記録です)にも出場したことがあります。
私はなにかに夢中になるとのめり込む習性があるのか、肥満解消ではじめたジョギングがエスカレートしてしまった感じです。

トライアスロンは、マラソンの延長ではじめました。
そもそも私は泳ぎが全くダメで、大人になってようやく長距離を泳ぐことができるようになったほどのカナヅチです。
自転車(バイクといいますが)にもほとんど興味がなかったのですが、体力のあるうちに一度は鉄人レース(IRONMANといわれる大会。スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2kmという途方もない距離を走破するもの。)に出場して、完走を果たしたいと思うようになりました。

2012年、マラソンでサブスリー(3時間未満で完走すること)を目指すのと同時に、トライアスロンのトレーニングもはじめ、同年9月にはオリンピックディスタンスといわれる短距離のレース(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)に出場し、翌年6月にはセントレア(中部国際空港)で開催されたIRONMAN70.3(スイム1.9km、バイク90.1km、ラン21.1km)に出場して完走、その資格をもって、同年8月31日に北海道で開催されたIRONMAN JAPANに出場して、無事完走を果たしました。
トライアスロンを趣味に掲げている割には出たレースは3回だけで、矢継ぎ早に各種距離を終わらせた感じが否めませんが、ともかく「IRONMAN」の称号を手にすることはできました。

当たり前ですが、諦めないこと、はマラソンやトライアスロンでは絶対に必要な条件です。
私は、自分の座右の銘を具現化するために、これらの競技にかけてきたといっても過言ではありません。

「IRONMAN」となって個人的には一つの山を越えた感じがしているので、いまは競技を中断して、たまにジョギングする程度ですが、機会があれば、再び挑みたいと思います。

家族について

結婚15年目となる妻がおり、子は4人(長女・次女・長男・三女)授かっております。
一番上は中学生、一番下は今年保育園の年長です。
4人ともそれぞれ性格が異なり、日々の成長を楽しみにしております。

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